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僕はセンター試験の負け組

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先日、大学入試センター試験があったということで、会社の先輩が子供が受験した話を聞いた。

僕も今から19年前にセンター試験を受験した。
1991年1月のことです。
1990年にセンター試験が開始されていたようで、第2回目の受験者になるようです。

その頃の僕の頭の中は、今と同じでサッカー一色。
勉強は二の次でした。
高校3年生の夏に行われた1990年に行われたサッカーのワールドカップイタリア大会にはまり、受験勉強のテキストを見るよりも、録画したワールドカップの試合を見る時間の方が多かった。

そこで好きになった選手が、このブログの左上にあるドラガン・ストイコビッチ
今の名古屋グランパスエイトの監督です。

当時、衛生放送でやっているのを眠い目を擦りながら見つつ、ビデオに撮って何度も繰り返し見ていました。
その時思ったのは、

 4年後の大会は生でワールドカップの試合を見に行く

ということで実際にワールドカップアメリカ大会に見に行ったのです。
(詳しくは1994年ワールドカップアメリカ大会の決勝戦観戦写真の記事参照)


勉強しながら、息抜きにサッカーを見るというよりは逆のような感じでセンター試験を迎えました。
事前に某私立工業大学の特待生の試験に受かっていた事もあり、楽勝かなと思い受験した試験は、

 悲惨な結果でした

800点満点だった当時、英語180、数学180、理科80、社会60、国語120の最低計620点は取れると踏んでいた。
根っからの理数系で、社会と国語は大の苦手。

今後必要にならないだろうし記憶するだけの社会と、古文・漢文という訳の分からないものと文章が苦手な僕は受験するのに勉強する気にもならず、適当に勉強していた。

 模擬試験でもそこそこの結果を出ていたし・・・

国語以外はほぼ予想通りでした。
ところが

 国語が80点台(200点満点で)

目を疑った。でも間違いなかった。

合計580点くらいで目標としていた名古屋工業大学の受験は諦めた。
当時の僕は小学校時代に卒業文集に書いた、プログラマーという目標のため、情報通信系の大学を目指していた。

結局、地方の国立大学を受験して受かったが、スベリ止めの私立大学に入学するということにした。


無料の私立特待生をやめ、国立大学をやめ、私立大学に入学した僕。


実は高校受験でも同じようなことをしている。

無料の私立特待生をやめ、国立の豊田高専をやめ、地元の公立高校に入学した。
(公立なだけましだけど・・・)



ちなみに就職でも同じようなことを・・・

親から推薦されたところをやめ、大学の教授などに就職相談に行かず、自分で勝手に決めた。


3つとも一貫しているのは、自分の進路はすべて自分で決めたこと。


ちなみに社会に出てからもそうだ。


金融系の営業から電気工事の職人になり、電気工事の施工管理担当者になり、今は建設会社に勤めている。
すべて自分で決めたこと。


大事なのは良い学校に行くことではなく、自分の進みたい進路に行けるかだと思う。
とちょっとカッコイイ事いいながら、プログラマーの夢を諦めて、今俺何しているんだっけ・・・
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